ABOUT
これまで『趣味と実益を兼ねた』で生きてきた、元電子回路設計、コンピュータ技術者の変り種クラフトマン。
2010年5月に7年間のアメリカ出向を解かれたのを期に退職、次のステージに向かって起業しました。
他界した父の職業が大工ということもあって、業種は違えど、物を造り出すと云うことに喜びを感じるという血は受け継がれているようです。
新しいもの好き前向き、多趣味人間。
スポーツ歴はゴルフの他にテニス、スキー、体操、ソフトボール、
ボウリング。
趣味は音楽、オーディオ、カメラ、コンピュータ。
SERVICES
CONCEPT
Quuny's 並びにSelect Shop のお客様へのサービスについて
◎成果物や商品に一手間掛ける
それは、時間を掛ける事もありますが成果物や商品もさることながらQuuny's(Quuny自身)を買っていただいていると言う考えのもとに行っています。
◎分かり易い例では
例えば、コーヒーをお出しする時には、コーヒーメーカーではなく一杯一杯ドリッパーで心を込めてお出しする。
お客様の美味しいという笑顔を見たい!喜ぶ顔が見たい!その気持ちがおもてなしだと考えています。
◎思いやりとは
目配り、気配り、心配りとおっしゃる方がいます。
Quunyは、相手の方、お客様にどれだけ自分の『時間』を提供できるかだと考えています。
元来、設計者のQuuny、設計者は設計している時間以外にも一日中何かしら頭を巡らせています。
時に、夢の中でアイデアが浮かんでくることもあります。
オーダメードクラブも同様、その方の事を考えながら、どういったセッティングにしようかと頭を巡らせています。
その時間を含めQuunyを買っていただいていると考えています。
experience
Quunyのスキルを活かした活動を行っています。
趣味を仕事に
仕事から趣味を見つける
カーステレオ設計
オーディオエンジニア
コンピュータエンジニア
品質管理
ゴルフクラブ クラフト
フィッター
「Only one life」
女性のナレータ様にお願いしました。
作・ナレーション:西寺みふゆ
あなたの人生は1つしかありません。
たった1つの人生、楽しく生きたいですよね?
でも…人生は山あり、谷あり。
自分で頑張ってもどうしようもならない時があります。
そんな時、そっとあなたに寄り添い、
あなたと共に明日への道を探したい。
私のサイトにはあなたの新しい道へのヒントが隠れているかもしれません。
仕事や人生に行き詰まっている方、
どうしていいか分からない
誰に相談していいか分からない時に見て下さい。
あなたと同じように苦悩し、生きてきた私だからこそ出来るアドバイス。
これまでの人生で数々の挫折を発想の切り替えで乗り越えてきた
その一部始終がここにあります。
幾多の苦難より私は色々なものを得ました。
リストラでゴルフクラブのクラフトマンとして起業したり、
前職での経験を生かし、ホームページ作成を仕事にしたり、
声が出なくなったことからボイストレーニングをし、
音楽配信や歌がうまくなるマニュアルの販売などなど…
ピンチをチャンスに変えてきたのです。
今、私は趣味を実益に変えて生きています。
あなたも私と共に一歩を踏み出しましょう。
変人?だと思う・・
きょうは、最近よく聞くこの言葉
Quunyさんって?
色々やられているんですねえ?
すごいですねえ
私には真似できません!
実はQuunyだって本当は一つの事をやりたかった!(笑)
でも仕方なく・・・
その辺りをお話ししてみたいと思います。
いわば、一つの事をやりたくても出来なかった挫折物語を
一気に行きます!50年のタイムスリップ!
Quunyは体育会系です!
中学校の時には体操部のキャプテンで町対抗で個人・団体で優勝もしました!
たった2校しか周囲の中学校にはなかった(笑)
それは小学校の時に東京オリンピックがあって、遠藤幸雄選手にあこがれからでした。
しかし、中学校の県大会(進めなかったので)を見学に行ったとき
愕然としました!
自分のレベルの低さに(将来の夢は日体大⇒オリンピック!だったのに)
で~~
1回目の挫折です!
仕方なく体操をあきらめ、高校進学の時、当時ある工業高校に射撃部というのを発見
なんか?面白そうだ!願書取り寄せてみよう!
ところが・・
受験要綱をみると色盲・色弱不可!
Quuny赤緑色弱なんです。。
え~~~~
で2回目の挫折(やる前から排除された)
仕方なく地元の普通高校に進みまして体操部もないし、文科系でもやるかって
面白そうなアマチュア無線というクラブに入りました。
でも、無線って性に合わない!暗い!(やっていらっしゃる方ごめんなさい)
そこでその部で一緒にやっていたラジオ製作に興味が移り、のめり込みました。
これが将来の進路を決めることになろうとは・・
がしかし、もともと文科系は性に合わなくて直ぐにやめてテニス部に変わりました。
いよいよ大学・将来何になるか?
その時考えたのは
頭はよくない!有名大学には入る能力ない!3流大学では就職が??
各種学校??面白そうだ!日本電子工学院!!!!かっこいい!これだ!
将来は電気をめざそー!
工学院に入ったQuunyは、オーディオクラブに入って
ステレオの魅力に取りつかれました。
実は中学校に時、友達に家のステレオはいい音、自分家のプレーヤーはよくない
なんでだろうと、スピーカーを替え、アンプを変えるも、一向に良くならず
なんでだろう??こういった疑問を抱えつついた事を思い出した分けです。
そして結果的ですが、オーディオクラブに入ったおかげで
どうして音が悪いのか?原因が分かりました。
そして趣味と実益を兼ねた人生が始まりました。
楽しい社会人スタートです!
当時、たった10人しか社員が居ない出来立てほやほやの会社に
新卒第一号として入りました。
そこでカーステレオを設計する部署に配属されエンジニアの道を目指します。
楽しく仕事できて、音楽聴きながら仕事して、お金がもらえる
。。
。。
ところが5年くらいして配転に(70年代後半だったと記憶しています)
設計とは無関係のマニュアル(作業指導書)製作に回されました。
しかも英語の・・!
3回目のプチ挫折
じゃあ英会話でもやるかあ~
将来はアメリカで仕事を!
実際、ここでの2年間はきつかったのですが、お客さん(担当)との関係が
しかし色々な意味で勉強もさせてもらいました。
その後、設計部隊に復帰したQuunyは・・
兼務の道を
パートさんの面倒見てくれ!製品試作部を任され
会社は設計だけではやっていけない、生産もやろう!
福田、生産を見てくれ!
段々と
設計者としての道が遠のく・・・
仕方ないので生産技術・品質管理、勉強しよう!
バブル到来!
福田!ちょっと来てくれ!
実は・・
コンピュータ周辺機器(自社開発)開発に行ってくんないか?
ちょっとヤバいんだ!
新商品を開発しないと社がもたない!
そんなこと言われても~
飛び込み自殺するようなもんじゃないかあ!
4回目の挫折
あまんじて異動を受けました
仕方ないです設計者とはいえサラリーマンですから
コンピュータ分かんないですよと言うも
お前がやらんでいい!部下にやらせればいいだろう!
そーですかあって感じです。
ここからどん底人生が待っていようとは・・
新商品開発するも鳴かず飛ばず
他所よりもいいですよ!値段は1/10ですよ!
日本の文化としてアメリア製は受け入れるけど、日本製はなかなか
まして名も知れない会社の商品に
そこそこパソコン周辺機器メーカとしては名は知れていたのですが
日本全国啓蒙活動!
やはり民生と業務用は違っていました。
。。
。。
10年間やりました!
ほんとにどん底でした
給料はとりあえずありましたが、昇給無し、ボーナス無し
でも仕事は必死に
新商品開発しなきゃ、問題が解決しない!徹夜の連続!
(200時間残業ふつうの事です!部長は残業手当なし)
クレームありゃ各先に出向いてお詫び
ほんとに苦しかったですねえ
(おかげでパソコンスキルを身に付ける事に)
結局、会社辞める事に決めました。僕の力じゃ(数年後商権は他社に)
5回目の挫折!
と救いの手が
福田さん辞めるんだって?
じゃあうち来てよ!
アメリカなんだけど、現地で新人の面倒とか日米のやり取りを
いいよ!って
二つ返事したはいいが、生活は?
前しか向かねえ♪♪
当時住んでいた横浜のマンション引き払って
夢と希望のアメリカ生活が始まりました
ゴルフに夢中になりました
毎週末ゴルフ三昧!
見るものすべてが新鮮で楽しかったですねえ
給料もいいし
ところがいいことは長く続きません
2007年、リーマンショック!
仕事が減り、客先では一人減り、二人減り、レイオフが始まり
がらっと変わりました。
凄いです!アメリカは。ある日急に直属のボスに呼ばれ通告受けますと
そのまま社を追い出されます。荷物はそのままにしておいて
後で私物は送るから。。
これで終了です!
日本企業のアメリカ支社でもです。
私も、現職の傍らアドバイザーとして新規事業の開発、新規顧客の開拓というように
設計はいよいよ遠のいてしまいました。
そして6回目の
福田さん日本に戻ってくれない?
けど、日本ではやってもらう仕事ないんだよねえ
それじゃ
辞めるしかないですね!
2009年暮れの帰任命令!
でもやっている仕事とかあったので半年間延命・・
日本に帰って何やるか?定年前の人間使ってくれるとこなんて無いし
仕方ない自分でやるか!
でもなにしよ?
と考えた挙句
好きな事を仕事に・・
ああ、ゴルフ!そうだクラフトマンになろう!
開けて1月2日、馴染みのゴルフプロショップに頼み込んで
実はこうこう・・
分かった!いいよ!と二つ返事でオーナーが言ってくれ
クラブの組み立て・修理・フィッティングの技術を学ぶことに
そして数か月後にアカデミーを受けて認証を貰い帰国しました。
ここからまたドン底人生が・・
甘いと言われりゃそれまでですが
他に選択肢は無かった!
(と、当時は思ったけど、ほんとは他にあったのかもしれません?)
クラブ売れない!
地元ではカスタムクラブに興味を持つ人は少ない
やっていけない!
7回目の挫折!
他の道もやろう!
自分でできる事は・・
パソコンかあ、いまさらパソコン教室なんてダメ
とりあえす自分の会社のサイトは作っていましたので
ホームページも仕事にすることにしました。
小学校の時以来の習字、還暦おやじの筆文字!癒しの筆文字で仕事とろ!
幼なじみが慰問に付き合ってと言われりゃ
撮影してDVDにして渡すと喜んでもらえる、これも仕事にしよ!
会社員時代、新人教育もやった生産もやった、品質管理も
じゃあノウハウにしてマニュアル作ろ!仕事になる
何でも屋さんでいこか!
結論!
趣味と実益を兼ねた人生は
挫折との付き合い方の一つとも言えるかもしれません
もし?幾度となくおとずれた節目の時に、拒否する選択もあったかもしれません
拒否していたらまた、人生は変わった絵が描かれていたでしょう
それも人生
人生とは自分で決めるもの
でも、Quunyは受け入れてしまった。
という事です。
いつまでも目標があるようで無いような
同じことをさせてもらえない環境
やっている過程・プロセスに意味があるんでは?
歩く、人間サグラダファミリア!
少なくとも色んな違ったタイプの人間と会えます。
絶対?この人とは友達にはなっていないよなあ?
それって?楽しくありません?
最後までお読みいただいてありがとうございました。
長い、長い、Quunyの50年タイムスリップ話にお付き合いいただき
ありがとうございました。
https://quunymusic.jimdofree.com/
あと、何回?山、谷、繰り返す
人生バイオリズムを経験するのでしょう?
虹色架け橋
虹色架け橋こと、のぐち まゆみ様に
紹介して頂きました。
とても素敵なQuunyを形容している言葉を頂きましたので掲載しました。
<これからの時代を、どう生き延びるか。その答えを一緒にみつけてくれるQuunyさん>
『勝者はどんな問題にも解答を見つけ、敗者はどんな解答にも問題を見つける。』
ロバート・アンソニー(心理学者)
という有名な言葉がある。この言葉は、まさに「Quuny」の人生を物語っているのではないだろうか。
欠点や間違いを指摘するのは誰にでもできる。そして、それを言いわけにして、自分の人生を放棄することも、諦めることも、いとも簡単にできてしまうものだ。
もちろん、逃げること、諦めることも時には必要なこともあるだろう。が、しかし、何事にも良い面や、良い経験となることもあるものだ。そして、未来へと続く選択や解決策を見つけ出し、行動を起こすことだってできる。その行動というエネルギーは、多くの人たちに勇気を与え、喜びすら与えることだろう。そしてその対価として、自分自身にも知識や新たな才能というギフトを与えられる。
どんな問題にも必ず解答や希望が見え隠れしているのだ。
それを見つけ出し、自他共に喜びを与えることが使命なのかもしれない。
「苦労は苦労じゃない。自他を生かすことだ。」と心の叫びが聴こえてくるようだ。きっとQuunyの手にかかれば、どんな物事も未来へと向かって動き出すことだろう。