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「物事を突き詰めなければ気が済まない知的好奇心の塊のQuunyと言う人間」
                   積 緋露雪 著

長崎県南島原市在住のQuuny(クーニー)こと福田邦夫さんは、65歳にして未だ好奇心の衰えを知らず、様々なことに挑戦し続けています。この活力はどこから生まれてくるのでしょうか。

Quunyさんは何度となく苦い経験を味わっています。

Quunyさんが小学校5年生の時、当時オリンピックで華々しく活躍していた体操選手に憧れを抱いていました。Quunyさんはオリンピック選手の後ろ姿を追いかけるようにして、公園の砂場でバック転の練習に明け暮れていたと言います。その努力の甲斐もあってQuunyさんは地区大会で優勝します。これで天狗になったと思われるQuunyさんは「日体大に行けるのではないか?」と胸躍らせるのでした。

しかし、それも直ぐに打ち砕かれることになります。郡大会に出場したQuunyさんは他の選手の体操の実技を見て一言呟いたそうです。

「レベルが違いすぎてワロタ」

これがQuunyさんが味わった初めての苦い体験です。その後もQuunyさんは不運に見舞われます。軽い色覚異常のために希望の高校へ入学できず、また、誰もが簡単に受かるという無線の資格にも不合格になります。これはまさしく不運としか言い様がありません。しかし、当のQuunyさんはそんな事にくよくよせず、歯牙にもかけませんでした。

「自分に降ってきたものは、一旦、全て受け入れます」

これがQuunyさんの生き方なのです。これは中々できることではなく、Quunyさんの懐の深さがこの言葉によく表われています。この生き方がQuunyさんの活力の源になっていると思われます。いつまでも好奇心を失わず、様々なことに挑戦し続けるQuunyさんの原点がここにあるのです。

 

人生、何があるか分かりません。それを一旦、全て受け入れると言うことは、一時的にどん底に落とされることもあったと思われます。しかし、そこから這い上がるQuunyさんのバイタリティは尋常ではないのでしょう。これは人生哲学として大いに学ぶべきことではないでしょうか。

体操選手になることを断念したQuunyさんは普通のサラリーマンに収まる器ではありませんでした。ラジオの制作と言った、電子関連の趣味が高じてQuunyさんは当時の花形の職業であったエンジニアを志します。そのために電子系の専門学校に進学し、テレビ工学を専攻します。専門学校を卒業するとQuunyさんは今で言うところの”ベンチャー企業”、つまり、できたばかりの小さな会社に入社します。Quunyさん曰く、「当時、新卒で小さな会社に入ることは普通ではない」と語っています。それだけ、チャレンジャーとしてQuunyさんは人生を賭けたのだと思います。

Quunyさんが会社でやりたかったのはオーディオ設計でしたが、人生とは思い通りに行くことは珍しく、ある時、突然にQuunyさんに人事異動の命令が下されます。

「おまえ、明日からハードディスクをつくれ」

これには流石のQuunyさんも絶望の縁に追い込まれたと言います。ハードディスクとはパソコンの外部記憶装置のことで、Quunyさんは要するにパソコンの周辺機器を作れと言われたのです。オーディオ畑で腕を磨いてきたQuunyさんは、突然、コンピュータ部門に異動させられたことを次のように回想します。

「ありゃ、ただの人員削減、要は追い出されたのだ」

オーディオとパソコンでは余りにも勝手が違い、その差は埋めようもなく、Quunyさんはパソコンに関して技術が全くないにもかかわらず、必死に学んでついて行こうとしたのでしたが、結局、その会社を退職することになります。

 

無職となったQuunyさんは、しかし、部下の誘いで別の会社、それもアメリカで再就職します。不慣れなままのパソコンの設計に携わったり、話せない英語に悪戦苦闘しながらもQuunyさんはそんな波乱の人生を楽しむかのように全てを受け入れたのです。Quunyさんは電気の設計から営業まで、何でもこなす万能屋だったために「国際救助隊」と呼ばれて上司からの信頼は物凄く厚かったのです。しかし、Quunyさんに再び憂き目が襲います。それはリーマンショックです。

この受難を経験して会社を退職し、帰国したのが2010年のことで、Quunyさんが57歳の時でした。Quunyさんは年金の支給までなにもせずに待っていることができず、Quunyさんは30年来の趣味だったゴルフで仕事を始めたのです。また、2010年代と言えば、デジタルネイティヴ世代と呼ばれる既に生まれた時にパソコンがあった世代が台頭し、リモートワークが少しずつ認識し始められていった時代です。Quunyさんは、そんなデジタルネイティヴ世代に負けず劣らずにネットを駆使して様々な仕事を手がけるようになります。これはこれまでにQuunyさんがある時は楽しみながら、ある時は藻掻き苦しみながら培ってきた経験の為せる業だったのです。

 

それはQuunyのバックグラウンドに書かれていますのでリンクをご覧いただけます。

 

Quunyさんのその多才ぶりに驚かれるでしょう。オーディオやパソコン関係はQuunyさんの過去の仕事の延長ですが、それは趣味と実益を兼ねてのことで、定年を迎えてもその活力に全く衰えを見せないQuunyさんに「余生」と言う言葉は存在しないようです。

その他にホームページ制作やブログ、SNSの指導などQuunyさんが興味を抱いたことはなんでも自分でやってみないと気が済まないQuunyさんの好奇心の表れと言えましょう。

ゴルフ関連は、Quunyさんの趣味から始まったものですが、これも極めないと気が済まないQuunyさんの性格の表れと言えます。こうも多才ぶりを発揮するQuunyさんに対してはこれからの超高齢化社会での一つの生き方を見せつけられる思いで、何歳になっても好奇心を全く失わないQuunyさんは、しかし、その本質には、論理的に納得できない以上、それはどこまでも自分で追及してやまないQuunyさんの本質を見極められなければ、知的好奇心が止まらない物事の本質にどこまでもこだわるQuunyさんのこれまでの生き方がよく表れています。

そんなQuunyさんが現在、こだわっているのが「歌」です。Quunyさんはひょんなきっかけでボイストレーニングを始めたことで、これまたQuunyさんの内部の知的好奇心がむずむずと蠢き出して、歌が上手いということが論理的にどういうことなのか突き詰めずにはいられず、Quunyさんは自分で制作した『歌うまFMEAマニュアル』を実践して、レコーディングまでするほどに歌うことにのめり込んでしまっているのです。

『歌うまFMEAマニュアル』はQuunyさんらしくとても論理的で、どのようなことを実践すれば歌が上手くなるのかが分かりやすく書かれています。その結果を知りたければ、Quunyさんの歌を一度聞いてみれば分かります。YouTubeにアップされていますので、誰でも聞けます。そんなQuunyさんはCDまで制作していて販売しています。YouTubeで聴いてみて気に入った人は是非購入してみてもいいのではないでしょうか。

 

こうしてサラっとですが、Quunyさんという人間の生き方を眺めてみると、Quunyさんと言う人は理論派で、ある疑問を持ったものは論理的に納得できなければそれは受け入れられず、納得するまではどこまでも物事の本質を追及してやまない知的好奇心の塊のような人がQuunyさんなのです。これは何歳になろうが衰えることはなく、Quunyさんはさらに疑問を抱いた物事に対してその本質を突き詰めるまでは頑として納得する筈もありません。

「自分に降りかかったものは、一旦、すべてを受け入れる」

この姿勢がQuunyさんと言う人の傍から見るととても充実している人生のその本源なのではないでしょうか。そして、受け入れたからには、その物事の本質を見極めなければ納得できない知的好奇心の塊のQuunyさんは、徹底的に考えに考えて答えを出すこだわりにその人生の妙が隠されているように思います。

​                                              2018.11.6

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